日本のレジェンド三浦知良「韓国は本当にレベルが高かった」「韓日戦でカズダンスをして申し訳ない(笑)」」の続き


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※一部要約

─選手生活をしていてワールドカップに出場できなかった物足りなさが大きいと思います。偶然にも三浦選手が代表チームから退いて後、日本はワールドカップにずっと出続けています。さらに惜しくないですか?

フランスワールドカップのときは予選からワールドカップ前の5月までずっと代表チームに行ってました。だが最後に外れたのは本当に残念でした。そういうのがサッカーで、人生において誰の責任でもありません。自分自身の問題として、自分がどうやって進まなければならないのかが重要です。
(過ぎ去ったことより)今日、今が重要です。


─国家代表として長く中山雅史、ワグナー・ロペス、城彰二など優れたFWとパートナーを組みました。どの選手が最も合ってましたか?

どうしても日本代表チームでは中山と多くの試合をプレーしました。
横浜FCでは城彰二とも一緒にやりましたし。
全員がレベルの高い選手なので、一緒に試合をするのはやりやすかったです。


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─韓日戦では宿敵だったが、クラブでは韓国選手たちと呼吸を多く合わせました。特にパク・チソンとの縁が代表的ですが?これまで一緒にプレーした韓国選手の中で最も合っていた選手はだれでしたか?

個人的なこともあるが、韓国選手の中ではパク・チソン一緒にやって本当に良かったです。
パク・チソンは努力したから世界的に偉大な選手に成長しました。
慈善試合のときも私を忘れずに呼んでくれたし、今でも連絡のやりとりをしてます。
本当に嬉しく思う。
だが(早く引退して)残念です。
横浜FCに来てくれたら良いでしょうね(笑)
パク・チソンは若い頃から本当に誠実でフィジカルの良い選手でした。


─パク・チソンの他にもチョ・ヨンチョル、パク・ソンホ、パク・テホンなど韓国選手たちと縁を結んでます。過去に宿敵だった国の選手と国の選手と一緒に生活することについてどんな感じを受けてますか?

Jリーグで韓国選手と会っているが、サッカーに国境はありません。
今一緒にプレーしているパク・テホンもそうだし、一緒にご飯を食べたり遊んだりします。
もちろん日本と韓国の政治、歴史的な関係もあるが、サッカーでは互いに悪く思うことなく尊重しています。
国籍が違ってもチームで一緒にプレーする同僚や家族です。
私は日本人、韓国人という意識を持ってません。


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─息子の良太がブラジル留学していると聞きました。息子と一緒にプロでプレーすることがあるのではないですか?

ブラジルは短期留学だったし、もう日本に帰ってきてます。
私が見るに、プロ選手は無理そうですね(笑)


─後継者と思う後輩選手がいますか?中田英寿がその役割をすると思っていたが、あまりに早く引退してそれができなかったが。

当然中田も日本とアジアサッカーにとって大きな存在でした。
今ヨーロッパで活躍中の本田圭佑、香川真司、長友佑都など、全員が後継者とはいえないが、本当に日本サッカーを引っ張っていく選手だと思います。


─日本サッカーの大先輩として、日本代表チームついて助言をするならどういうものがありますか?

当然日本代表チームはもっと強くならなければなりません。
ヨーロッパに行く選手がさらに多くなって、アジア全体のレベルも上げなければなりません。
日本には若くて良い選手が多い。
経験をたくさん積まなければならないでしょう。


─三浦選手は選手生活でずっと背番号11をつけています。どんな意味があるんですか?そして今年48歳だが、48という数字は自分にとってどうですか?

11番は若い頃に所属していたチームの先輩がつけていた番号です。
私にとってはアイドルの番号でした。
また、ブラジルにロベルト・リベリーノという選手がいました。
ペレが10番、リベリーノが11番でした。
私はリベリーノが本当に好きです。
なので若い頃の先輩とリベリーノに追い付くために、これまでずっと11番をつけています。
48という数字に特別な意味はありません。
もう50歳になりたいという考えだけですね(笑)


─永遠の現役になりたいと言ったことを知っています。いつまで現役でプレーするつもりですか?

これまで選手をしてきて、いつまでというのは本当に分からないことです。
まず目標は50歳まですることです。
40歳まで現役でプレーする人は多い。
41~42歳まではやってます。
だが50歳までの人はいないようです。
50歳まで1年半くらい残っているが、そのときまで現役生活をするのは本当に難しいことでしょう。
私は韓国年齢だと来年50歳でしょう?
韓国でプレーしなければなりませんね(笑)


─韓国へはいつが最後の訪問でしたか?

1997年のフランスワールドカップ最終予選の韓国遠征が最後でした。
スケジュールが合わずに、その後は韓国に旅行も行けませんでした。
以前、ホン・ミョンボから何回か招待を受けたが、上手く合わなかったんです。
中田とも話しましたが、アジアは交流をしなければなりません。
国境、国籍に関係なく友人だと思います。


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