※3月4日の記事


日本サッカーが体の競り合いに弱いのは
STNスポーツ




※要旨

3日、城南FCが日本のガンバ大阪を退けた。
去年Kリーグで降格の危機に苦しめられた城南FCが、2015ACL・F組2次戦で日本Jリーグトレブルのガンバ大阪に完勝をおさめたのだ。

この日の試合は城南のホームである上、これまでACLで韓国チームは日本チームに強勢を示していたので特に驚く必要はなかったが、一方的な試合内容が少し意外だった。
TV中継の解説者は日本チームが「体の競り合いに弱い」という点を繰り返し強調した。
韓国サッカーの選手が相対的に激しい1対1のボール争いに強い反面、日本選手はパス中心の戦術サッカーに長けているということだった。

囲碁でも似たような現象があるという。
かつて囲碁の宗主国の振る舞いをしていた日本は、最近韓国と中国の勢いに押されて息もつけない格好になったが、日本の棋士があまりにも格好で碁石を動かしているためだ。
韓国棋士は手相戦と終盤に強く、中国は布石と形勢判断が良いという。
結局日本は"模範生囲碁"をするので、ときには原則を無視して力で押しこむ韓国の"実戦囲碁"や読みと揺さぶりに強い中国の"厚い囲碁"に押されるということだ。

サッカーで東アジア韓中日の3ヶ国の特徴は何だろうか。
囲碁とは違い、サッカーで中国は代表やクラブのレベルでまだ一定の水準に達することができてないように見える。
最近のACLで中国チームがキラっと光ることはあるが、主に高額年俸で連れて来た外国傭兵の能力に後押しされたもので、代表サッカーでは"恐韓症"を克服できてない段階だといえる。
なので"サッカー三国志"はまだ韓日対決が状況を決する。

過去の代表対決では韓国が精神力で優位を占めてきたが、最近は日本が国際戦績を基にしたFIFAランキングでリードするなど、ほぼ対等なレベルに達している。
だがクラブサッカーでは相変わらず日本は韓国に押され、力を出せずにいる。
2002年以降、ACLで日本は2007年の浦和レッズ、2008年のガンバ大阪の優勝がすべて。
一方、韓国は最近の6年間で5回決勝に進出した。
その中で浦項スティーラース(2009年)、城南一和(2010年)、蔚山現代(2012年)が優勝した。


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日本の隔週刊誌<スポーツ・グラフィック・ナンバー>オンライン版でサッカーコラムニストの吉崎エイジが"韓国サッカー界はJリーグをどう見ている?日本サッカーの弱点"というコラムを掲載したが、「韓国サッカーはJリーグチームに強い自信があり、トーナメントに強く特有の激しさに特徴がある。そういう理由で、Jリーグチームは相手の危険地域での緻密さを武器としなければならない」というのが主な内容である。
彼は続けて「プロリーグの運営はJリーグ側がリードしているを韓国は認めている」として、「だがクラブ間の戦いは韓国が一枚上だと思っている」と伝えた。

それではこのような特徴はいつから形成されたのだろうか。
今はサッカーや野球などのスポーツを通じて韓中日3ヶ国間で雌雄を決するが、昔は戦争をしていた。
古来より中国は槍、韓国は弓、日本は刀を上手く使うとされている。
壬辰倭乱のときの記録を見ると、「朝鮮兵士は倭国の兵士より5倍も多く食べるだけでなく体格が大きく力も強いのに、短兵接戦では大きな刃物を振り回す倭兵に抗うことができなかった」という一節がある。
壬辰倭乱の前には倭寇が元・明と高麗・朝鮮の沿岸地域を荒らした。
明国・戚継光の鴛鴦陣、麗末鮮初・李成桂の騎馬歩兵と崔茂宣の火砲が登場するまでは倭寇の戦闘力が圧倒的だった。

李舜臣将軍が倭賊水軍と戦って26戦26勝をおさめたのも、倭軍が船上に上がって白兵戦をする機会を封鎖し、敵艦との距離を維持したまま銃筒(火砲)を激烈に浴びせたからだった。
当時の倭軍の戦術は、相手の船に接近して鉤をかけて引き寄せ、船をつけてから飛び込んで刀の戦いをすることだった。
朝鮮の主力艦の板屋船は、倭寇が甲板に飛び上がれないように艦高を高く造っていた船だった。
経験上、倭寇と1対1でやれば不利だったからだ。
陸上でも主に熊本出身の倭軍先鋒とやって一敗塗地するのが常だった。
よく鳥銃の威力のせいで朝鮮軍が大敗したと認識されているが、実際は倭軍の戦闘経験と接近戦能力がさらに大きく作用した。

このように、日本人は伝統的に刀の戦いに長けていて接近戦に強かったとすれば、今の子孫もサッカーで体の競り合いが良くて当然である。
ところが日本サッカーは非常のおとなしい"娘サッカー"という言葉まで聞こえる状態だ。
何が日本人の遺伝形質を変えたのだろうか。
そこには科学的な解答が出てくるのは難しい。
質問そのものが厳格なデータに基づいた科学的命題ではないからだ。
だがどんな疑問でも観察と経験を土台にした洞察力のある推測は出せる。
そのような脈絡で、日本人の脆弱性は日本の"教範(マニュアル)主義"が原因だというのが一つの仮説である。

日本の文化に関して多くの理論などが提起されてきた、"恥の文化"や"甘えの構造"、"外見と本音の二重性"などが代表的な例だ。
だが最近の日本はすべてにマニュアルを作ってそのまま施行するのを最優先視する傾向、つまりマニュアル主義があるようだ。
日本人はマニュアルでそれぞれの状況に備えて実際に対応するが、ときどきマニュアルにない状況が迫ってどうするべきか分からずに慌てて筋道を掴めないでいる。
言い換えれば、臨機応変と融通性が足りないのだ。
韓国人は頑固で強引な傾向があるが、脚本に従うよりも直感と本能に頼るという評価とは対照的である。

マニュアル主義によると、すべてのことには正しいやり方と適当な程度がある。
サッカーで体の競り合いを激しくするのは反則と同様で限度を超えるもので、非難の余地があると見るのだ。
何事も定石通りやらずに集団に順応しなければ、"荒い奴"というレッテルを貼られていじめに遭うことになる。
個人の自己主張は子供じみているとみなされ、独創性や特別さは傲慢なせいとされることが多いという。
韓国も日本と社会的、文化的には似ているが、韓国の人々は相対的にはばかることなく本心を見せて表現も直接的な傾向がある。

日本人は精神分析で節制と抑圧を重視する肛○型に近いなら、中国人は衝動的で欲張りな口腔型の特徴をより多く持っていると思われる。
韓国人は別の部分でもそうだが、ここでも日本と中国の中間くらいに位置した折衝型と言える。
日本人は抑制と粉飾を多くするので言葉遣いや音色から作為的に整えているという感じを与えることがしばしばある。
行動も言葉と同じように、他人を意識していれば荒れて目立つ面が少なくなる。
そのような延長線上で、日本サッカーは野生を失って体の競り合いを好まなくなったという解釈だ。

マニュアル主義に付け加え、日本特有の整理整頓に対する執着も一役買っているという気がする。
日本に行けば書芸が書道になり、剣術も剣道に変わって茶礼が茶道になったかと思えば、巫俗が神道に格上げされる。
何でも一目瞭然に整理し、手順と位階を定めて最高の価値を与えるというものだ。
日本文化の細部に対する精密さは製造業の技術を世界トップレベルに引き上げたが、問題は型破りや抵抗、革新や創造に関しては比較優位がないということだ。
デジタル時代には1人で飛び上がった釘が世の中を変え、1人が100万人を食べさせるというのに、教範主義や集団順応文化、整理整頓に対する執着では時代の波をかき分けていくのは容易ではない。

日本サッカーを見守ると、韓国サッカーは技術と闘志、体力を取り揃えて知性と野生を兼ね備えた"スマートサッカー"をするべきだという悟りがより切実になる。



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