[インタビュー] チョン・スンヒョン「ACL優勝は貴重な経験…ベント号でもプレーしたい」
スポTVニュース




※一部要約

「生涯初のACL優勝だ。言葉で表現できないくらい大きな光栄である。(クォン・)スンテ兄さんが初めて3回アジアの頂点に上がったという。その記録を越えるのを目標に再びプレーする」

7月にチョン・スンヒョンはサガン鳥栖を去り、Jリーグ最多優勝チーム(8回)の鹿島アントラーズに移籍した。
チーム内の立場は堅かった。
一気に主戦DFを奪ってチームに溶け込んだ。

チョン・スンヒョンの合流で裏口が安定した鹿島は、クラブ史上初めてACLで優勝した。
鹿島は11日、イランで行われたACL決勝2次戦でペルセポリスと0-0で引き分けた。
日本で行われた決勝1次戦に2-0で勝っていた鹿島は、合計1勝1分けで優勝カップを掲げた。

スポTVニュースとのインタビューにチョン・スンヒョンは「鹿島に来て選手として成長しているのを感じる。競争して優勝するためにこのクラブを選んだ。ACL優勝でクラブの歴史に私の名前が残るだろう。今後のサッカー人生で大きな経験になると思う。歴史に残る優勝をして嬉しい」と語った。

チョン・スンヒョンは決勝1次戦と2次戦でどちらもフルタイムの活躍をした。
決勝1次戦で完勝をおさめた鹿島は、"地獄のイラン遠征"に発った。
試合が繰り広げられたところは、海抜1273メートルにあるアザディスタジアム。
約10万人の観客の応援を背にしたペルセポリスは、鹿島の堅い守備を突破できなかった。



"日GKレジェンド"川口、満43歳の年齢で現役引退宣言
スポーツソウル




※一部要約

不惑を越えた日本サッカーGKの"生けるレジェンド"川口能活(43・相模原)が現役引退を宣言した。

川口は4日、所属チームの相模原を通じて今シーズンを最後に選手生活を終えることにしたと発表した。
1995年にJリーグの横浜マリノスでプロデビューした川口は、2001年に日本人GKとして初めてヨーロッパ進出に成功、イングランド・ポーツマスに入団して2シーズンプレーした。
その後デンマーク・ノアシェラン(2003~2004)を経て2005年にジュビロ磐田でJリーグ復帰をした。
2014年にJ2リーグのFC岐阜から放出された後、2016年にJ3リーグ所属の相模原で選手生活を続けていた。
去年にJ3リーグで満41歳11ヶ月1日の年齢でフルタイムをプレーし、J3最高齢出場記録を打ち立てたりもした。

代表のユニフォームを着た川口の姿は、国内ファンにも馴染みである。
23歳以下代表時代に日本サッカーを28年ぶりにオリンピック本戦に上げ、1996年のアトランタオリンピックに出場した。
グループリーグのブラジル戦で相手の28本のシュートを防いで1-0の勝利を牽引、"マイアミの奇跡"を作った主役だった。
その後、A代表の主戦守門将に成長して、1998年のフランスワールドカップをはじめとして2002韓日ワールドカップ、2006ドイツワールドカップ、2010南アフリカワールドカップまで4回連続でワールドカップ本戦の舞台を踏んだ。
Aマッチ116試合をプレーしてセンチュリークラブにも加入した。

川口は今シーズンの相模原でも5試合をプレーして健在な姿を見せた。
だが拍手をされるときに去ることを選択、1975年生まれの百戦老将GKはユニフォームを脱ぐことになった。



[現場ルポJ] インタビュー | ④セレッソ社長「成績によって稼げるリーグになった」
フットボールリスト




※一部要約

成績を出せばそれだけ稼げるというのは、そのリーグが産業と呼ばれる資格を得たという意味である。
Jリーグは優勝賞金だけでなく、4位までに支給される成績別"理念強化分配金"を狙い、さらに激しく競争する。

DAZNのインターネット中継が導入されてから、Jリーグは以前にはなかった活気を取り戻しつつある。
好況を迎えたクラブはどういう悩みがあるのかを聞くため、セレッソ大阪を訪れた。
玉田稔社長はサッカー界の経験と親企業ヤンマーのキャリアをどちらも経た後、2015年からセレッソを経営している。
インタビューは11月2日、大阪市内のホーム球場内にある社長執務室で行われた。


─クラブにとってDAZNとの中継権契約はどのような意味なのか?

クラブの収入がどれだけ増えたか説明する。10年間で2100億円は、簡単に言えば毎年210億円だ。さらに正確に言うなら、最初の3年間は135億円が策定され、そのうち116億円が各クラブに分配される。J1の場合、各クラブに等しく与えられる金額がすでに1億8000万円で、DAZNとの契約以降は年間3億5000万円に増えた。J2は8000万円から1億5000万円で、J3は1500万円から3000万円に増えた。優勝賞金もすべて倍に増えた。J1優勝賞金は既存の1億5000万円から今では3億円に増えた。また、降格救済金もある。J1からJ2に降格したチームは、突然の減収に伴う年俸の負担があるため、2億8000万円を受けることになる。

実際のクラブにとって最も重要だと考える部分は、理念強化分配金だ。成績によって差等支給される金である。2017年の優勝チームである川崎フロンターレの場合、賞金とは別に優勝の翌年に10億円、その次の年に4億円、その次の年に1億5000万円を順に受けることになる。2~4位も金額は違うが、成績によって分配金を受ける。



[現場ルポJ] インタビュー | ③Jリーグ代理店が明かした成功の秘訣「Jリーグは野球より魅力的だ」
フットボールリスト




※一部要約

JリーグとDAZN JAPANが2兆ウォンを越える中継権契約を結ぶのに、大きな役割を果たした企業がある。
日本最大の広告企業である電通だ。

電通は2014年にJリーグのマーケティング代理店となり、今回の契約でもJリーグのエージェントとしてJリーグのマーケティング代理店で関与した。
村井満Jリーグ議長がDAZNへの道を作ったと評価した明治安田生命とのメインスポンサー契約も、電通がJリーグのマーケティングを引き受けてから成された。

Jリーグは韓国プロサッカー連盟よりさらに大きな組織だが、マーケティングをしたり契約をするときに電通と積極的に協力した。
Jリーグの力とパートナーである電通の力を合わせて、さらに大きな結果を勝ち取ったのだ。
電通は相変わらずJリーグのパートナーとして、JリーグやDAZNとともに新たな試みをしている。

電通との出会いは今回の企画で非常に重要だった。
先に会ったDAZN JAPANの社長とJリーグ議長は代表者の立場で話をしたため、原論的で巨視的な観点が多かった。
電通は違った。
実務者ができる正確で詳細な話をした。

望月電通部長はインタビューの場所に入るとすぐ、「上着を脱いでインタビューをしましょう。私が先に脱ぐので楽にしてください」と言った。
まるで"フットボールリスト"が前の1・2回のインタビュー全体を、上着を着てしてたのをわかっているようだった。
望月部長はインタビューもよどみなかった。



[現場ルポJ] インタビュー | ②Jリーグ議長「中継権料2兆ウォン、25年の努力の成果」
フットボールリスト




※一部要約

過渡期にいたJリーグを流麗に、別次元に導いた村井満Jリーグ議長は競技人の出身ではない。
さらにJリーグ職員として働いたこともない。

外資系のキャリア管理と採算専門企業のCEOとして働いていた村井議長は、2014年にJリーグ議長になった。
彼は2014年をかなり静かに過ごした後、2015年から急激にスピードを上げた。
2015年には明治安田生命とJリーグの全クラブを支援するスポンサー契約を結び、2016年にはインターネットストリーミング業者のDAZNと10年で2100億円の中継権契約を結んだ。

Jリーグはアジア地域のリーグの中で最も内実があると評価されていたが、悩みは多かった。
観客は少しずつ減っていたし、ファンの平均年齢は上がっていった。
優れた選手はJリーグではなく海外リーグに目を向けた。
規模の面ではKリーグと差が大きいが、同じ類の悩みをしていたのだ。

村井議長が大型契約を2件成功させ、リーグを別次元に乗せた。
この過程でJリーグの全構成員を説得し、理解させた。
放送局ではなくインターネットストリーミング業者のDAZNと契約し、彼らの提案を積極的に受け入れる過程でも、意見を広範囲に取りまとめた。
彼らは25年間で積み重ねたことなどを誇りつつも、新たな挑戦をしなければならないという結論を出した。
JリーグとDAZNは対等な立場で、毎週2回ずつ定例ミーティングをしている。

「各クラブの社長、経営者と言葉を交わした。Jリーグの競技レベルと経営レベルは高くないと口を揃えた。イングリッシュ・プレミアリーグやブンデスリーガのレベルであれば、変化を恐れていただろう。だが私たちはまだそのレベルではない。国内のプロ野球よりも低いと見ていたし、挑戦してみようという結論が出た」

村井議長とJリーグは心強くて異なるスポンサーを2つ誘致し、以前とは違う悩みができるようになった。
彼は「ことを進めるスピードが速い」という言葉に、「私が思うに、変化のスピードは速くない」と答えた。



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