[オフィシャル] ポドルスキ、日ヴィッセル神戸移籍発表
スポータルコリア

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※一部要約

ルーカス・ポドルスキが日本のヴィッセル神戸に移籍する。

ポドルスキは2日、自身の公式SNSチャンネルで「ファンと共有したい。私は今シーズン終了後に日本Jリーグのヴィッセル神戸に移籍する。新たな挑戦のためにこのような決定を下した」と発表した。

ポドルスキはドイツを代表するスタープレーヤーだ。
2003年にケルンでプロデビューし、バイエルン・ミュンヘンやアーセナル、インテルなど世界的なクラブに身を置いていた。
その後ガラタサライに移籍して選手生活の黄昏期を過ごしている。
左足シュートの能力とスピードがポドルスキの特技である。


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[オフィシャル] ガラタサライ、ポドルスキの日本行きを公式発表・・・"移籍金31億"
インターフットボール




※一部要約

ガラタサライは「ヴィッセル神戸は260万ユーロ(約31億3000万ウォン)の移籍金を支払うだろう」として、「もしポドルスキが今シーズンの残り期間で75%の試合を消化し、クラブが来シーズンのUEFAチャンピオンズリーグに進出すれば、20万ユーロ(約2億4000万ウォン)を追加で支払わなければならない」と説明した。

一方、ポドルスキの契約は3年で年俸総額は1800万ユーロ(約181億ウォン)と伝えられた。
ポドルスキの背番号も10番が予約された。



[インタビュー] クォン・スンテ、「私が鹿島で駄目なら全北に泥を塗る」
スポータルコリア




※一部要約

クォン・スンテはKリーグ最高のGKと認められていた。
彼は去年まで3年連続でKリーグクラシックベスト11を取った。
彼が3年間GKで最高の席を占めている間に全北現代はKリーグクラシック(2014、2015)とACL(2016)で優勝した。

そしてクォン・スンテは2017年になるとすぐ新たな挑戦を選んだ。
彼は日本J1リーグ最高の名門チームである鹿島アントラーズのオファーを受けて移籍した。
GKは海外進出の機会が少ない。
選手生活の終盤に入ったクォン・スンテは、鹿島移籍が初めてであり最後の機会だと感じた。
全北はそれを知って受け入れた。

クォン・スンテは1月末に鹿島のユニフォームを着た。
鹿島で生活して1ヶ月ほどの時間を過ごした。
短時間と見ることができるが、彼は早くもチームに適応した。
そしてデビュー戦だった18日の浦和レッズとの富士ゼロックススーパーカップで鹿島の3-2の勝利に力を加えてトロフィーを取った。

続く21日の蔚山現代とのACL E組1次戦でも守備陣を指揮して試合をコントロール、2-0の無失点勝利をもたらした。
鹿島としてはシーズン開幕から早くもクォン・スンテ獲得の効果を享受した。
クォン・スンテも負担だったデビュー戦を無難に行って自信を持つことができた。

彼は22日、"スポータルコリア"との電話で「思っていたより身体が早く仕上がっていて幸運」だと言い、「私がここで駄目なら全北に泥を塗ることになる」として、鹿島で成功をおさめて韓国GKの実力を見せると伝えた。




チョ・ドンゴン「水原ファンに対する惜しさはない」
蹴球ジャーナル




※一部要約

「よりにとって鳥栖で初めての試合を水原とするとは・・・。本当に妙な感じだった」

去年まで身を置いていた実家チームに会ったサガン鳥栖のFWチョ・ドンゴンは、いくら考えてもすごい縁に笑いを放った。
その笑いには濃い名残が含まれていた。

鳥栖は18日、佐賀県鳥栖市にあるホーム球場でKリーグクラシックの水原三星と親善試合を行った。
この日の親善試合はキム・ミヌに焦点が当てられた。
鳥栖で長く活躍したキム・ミヌは、今シーズンの前に水原へ移籍した。

キム・ミヌが実家チームの鳥栖を相手にしたのなら、鳥栖にも水原が実家の選手がいた。
チョ・ドンゴンである。
水原で4年間活躍したチョ・ドンゴンは最近FAの資格で鳥栖のユニフォームを着た。

この日の試合でチョ・ドンゴンは試合終了残り5分でグラウンドを踏んだ。
出場時間が短く、これといった活躍は見せられなかった。

試合後チョ・ドンゴンは「これから同僚と足をしっかり合わせて良い活躍をしたい」と親善試合だが鳥栖でデビュー戦を行った所感を明かした。
続けて「新たなチームを探すために2ヶ月ほど運動をちゃんとできなかったうえ、鳥栖に来てから練習を10日くらいしかしていない。今日の試合に対して大きな欲はなかった。もちろんもう少し多くプレーして良い姿を見せはしたかった」と付け加えた。





チョ・ドンゴンに水原というチームはどういう意味を持つかと尋ねると、すぐに「惜しかったところである。もう少し上手くやっていればという後悔が残っている」と答えた。
チョ・ドンゴンは2012年から昨シーズンまで、尚州尚武の時代を除いて水原でプレーしていた。
入団したときは名門水原の主砲になるという期待を受けていたが、計73試合で11ゴールを記録するのに終わった。
昨シーズンは24試合に出てわずか4ゴールだった。

不振が重なるとすぐに水原ファンは彼を非難し始めた。
鳥栖移籍のニュースが聞こえると、すぐにそれを歓迎するファンもいた。
惜しいのではないかという質問に「惜しくはない。私が上手くやっていればこんなことはなかった」として理解すると明かした。
チョ・ドンゴンは「また始めるのでJリーグでゴールをたくさん決めて良い選手と認められたい」と誓った。



水原キム・ミヌが語るウィングバック変身とサガン鳥栖との対決
フットボールリスト




※一部要約

スペインキャンプを行った水原三星MFキム・ミヌの表情は明るかった。
7年間の日本生活を終えて2017シーズンKリーグの舞台に挑戦するキム・ミヌは、水原生活の適応を成功裏に終えた様子だった。

14日、水原三星のクラブハウスで午後の練習を終えてから"フットボールリスト"と会ったキム・ミヌは、水原で送った冬季練習について「馴染んでないことはない。兄さんも弟もみんな身近になった。早く適応することができた」と笑った。
実際に練習を終えてからオリンピック代表時代に親しくしていたたソ・ジョンジンとフザケて明るい様子で歩いてきた。

戦術的な側面で適応した部分のほうが大きい。
水原は今シーズン、3バックにウィングバックを置く戦術をメインにしている。
キム・ミヌはスペイン遠征で、ホン・チョルが軍入隊で抜けた左ウィングバックの席で主に起用された。
「3バックのフォーメーションでウィングバックをしたことが以前あるが、他のチームでしていたことと水原での注文は違う。最初は難しさがあった」と言った。

だがスペイン遠征で十分に成果があったとして良しとした。
「練習をしてフォーメーションについて理解できた。ゲームを通じて選手間の呼吸もかなり合わせた。良いキャンプだった」
ウィングバックにとって攻撃加担は選択ではなく必須である。
キム・ミヌは「チームの組織に合わせてプレーすることが優先だが、ソ・ジョンウォン監督様がもうちょっと攻撃的にしろと注目したできるだけ攻撃的にしようと努力する」と言った。。



「ACLでまた会いましょう」高萩がKリーグファンに伝えた挨拶
スポーツソウル




※一部要約

FCソウルのスタッフが現れると、靴紐を結ばないまますぐ駆けつけた。
アディコーチとしばらく笑いながら会話をした彼は、ソウルの選手にも笑みで嬉しさを表現した。
チームミーティングが終わるとすぐ足早に走ってファン・ソンホン監督にも挨拶した。
挨拶はそこで終わらなかった。
自分を応援していたソウルファンと、自分を覚えているKリーグファンにまで挨拶を伝えた。

高萩洋次郎。
FCソウルで1年半プレーした彼は、FC東京に入団して再び自国に戻った。
肩に触れるほど波打つ長髪と額に巻いた細いヘアバンドが印象的だった高萩は、2015年に素晴らしい先制ゴールによってソウルがFAカップ優勝トロフィーを掲げるのに先頭に立った。
その年のFAカップMVPも高萩が獲得した。
去年はソウルのKリーグクラシック優勝も達成した。
1シーズン半の間にトロフィーを2つ持ち上げた。
彼のキャリアにとってもソウルの歴史にとっても、濃くて深い足跡を残した。
強烈な印象を残した彼は、冬になって日本JリーグのFC東京へ行った。
彼の日本復帰のニュースが伝えられると、すぐにファンは彼の将来を応援しつつも、一方では大きく残念がった。

喜ぶ顔に8日、宮崎県の高城体育公園でまた会った。
ソウル所属だった彼は、東京所属としてかつての所属チームだったソウルとの練習試合に出てきた。
去年Kリーグクラシック優勝を一緒に達成した同僚と、相手側として会う初めての舞台だった。
高萩は試合後も同僚だったソウルの選手と挨拶を交わした。
「FCソウルストロング(stong)」と言って愛情もあらわした。



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