「ポドルスキ、日本ヴィッセル神戸入団予定」
聯合ニュース




※一部要約

ドイツ戦車軍団の一軸を担ったFWルーカス・ポドルスキが日本プロサッカーJリーグのヴィッセル神戸に入団する見通しである。

ビルトなどドイツメディアは17日、一斉にポドルスキがヴィッセル神戸入団を控えていると伝えた。

ビルトは「ポドルスキは中国スーパーリーグの北京国安から入団オファーを受けたが、日本でプレーするために断った」と報じた。

ポドルスキは2003年にFCケルンでプロ生活を始め、バイエルン・ミュンヘンやアーセナルなど主要クラブで中心選手として活躍した。

特にドイツ代表で大活躍した。
彼はAマッチ129試合で48得点に成功した。

彼は2015年7月からトルコプロサッカーのガラタサライでプレーしているが、昨シーズンは負傷で技量が落ちて10試合出場3ゴールに終わった。




ドイツメディア「ポドルスキ、日本神戸に移籍・・年俸100億
スポーツ韓国




※一部要約

ドイツメディアによるとポドルスキは神戸から契約期間3年で800万ユーロ(約100億ウォン・ボーナスを含む)の年俸のオファーを受けたと伝えられた。

昨シーズン、日本Jリーグで7位になった神戸はすでに先月からポドルスキ獲得を推進してきた。
代表GKキム・スンギュの所属チームでもある。



[インタビュー] キム・ミヌの日本での7年そして水原での1年
フットボールリスト




※一部要約

「キム・ミヌ選手が私たちのチームにいたとき、サガン鳥栖はJ2リーグにいた。厳しい時期を共に経験した。キム・ミヌ選手と共にサガン鳥栖も成功した。キム・ミヌはサガン鳥栖ファンから最も多くの愛を受けた選手だった」(竹原稔サガン鳥栖代表理事)

12日午後、京畿道華城にある水原三星のクラブハウスで、2017シーズンの水原三星の初めてのメディアデイ行事があった。
9日に国内で招集練習を始めた水原は、13日のスペイン・マラガ合宿に発つ前にソ・ジョンオン監督と新任コーチングスタッフ、そしてイ・ジョクセンをはじめとする主要選手のインタビューの席を用意した。

2010年に日本クラブのサガン鳥栖でプロキャリアを始め、去年までの7年間でJリーグとサガン鳥栖だけでプレーしていたキム・ミヌにとっては、水原入団後の初イベントはなおさら気楽だっただろう。
この席には自分の前所属チームの代表理事と職員がいたためである。

この日、水原は22日に予定されている川崎フロンターレとの"2017AFCチャンピオンズリーグ"初戦を控えた18日に、サガン鳥栖とのプレシーズン親善試合で最後の手入れを行うことで合意した。
水原はキム・ミヌ獲得でサガン鳥栖と縁を結び、今回のプレシーズンマッチ以降も、ユースの段階から様々な分野で交流することを約束した。

シュティーリケ監督就任後の最初のAマッチで得点をした主人公のキム・ミヌは、軍の問題でサガン鳥栖を去りKリーグの舞台に挑戦することになった。
キム・ミヌは幼い頃から夢のチームだった水原に来たという点で、馴染みのサガン鳥栖を去った惜しさを消し、新たな挑戦に出る。
水原での挑戦は"2015東アジアカップ"以降、招集を受けられずにいる代表チーム復帰の門を開ける機会にすることもできる。


─デビュー後、7年を日本で過ごした。Kリーグは初めての挑戦である。

まずこのような水原三星という良いクラブに入ることになって光栄だ。幼い頃から好きなチームである。ソ・ジョンウォン監督様も青少年代表チームで共にした。互いによく知っている。そうした部分も水原に来ることになった大きな理由だ。大いに役立つだろう。期待でワクワクしている。去年のFAカップ決勝戦をインターネットで見た。(Kリーグについて)周りの人たちにも尋ねた。上手く合いそうだと言っていた。とりあえずその部分は私が今からやること次第である。早く適応できるよう努力しなければならないだろう。


─日本で安定して上手くやっていたが、国内ファンには活躍があまり知られてない。

日本で活躍していて、できるだけ大韓民国の選手として恥ずかしくないようにすごく努力した。自分なりに一生懸命やった。サガン鳥栖からも良い待遇をして、尊重していた。なのでこのような席まで来られたと思っている。7年間の日本生活はやりがいがあった。


─涙を流してサガン鳥栖ファンと別れた。

幸せな選手だということを再び感じた席だった。惜しさが残る。それでもキム・ミヌという選手を日本で良いイメージとして残してくることができたという点で、満ち足りたと思っている。


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[親善試合調印式] 水原、サガン鳥栖と2月18日に親善試合開催
インターフットボール




※一部要約

水原三星が日本Jリーグのサガン鳥栖と親善試合調印式を行った。

水原は12日、華城市半月洞にあるクラブハウスでメディアデイを開催した。
水原のキム・ジュンシク代表とサガン鳥栖の竹原稔代表はこの席で、来月18日のプレシーズンマッチ調印式を行った。
ソ・ジョンウォン監督をはじめとしてキム・テヨン、イ・ウンジェ、イ・ビョングン、チェ・ソンヨン、コ・ジョンスらも同席した。

竹原代表は「このような機会を作ってくださり感謝を申し上げる。親善試合だが真剣勝負になって欲しい。私たちとの試合を通じ、その後のACLの試合で水原が好成績を出してほしい。ずっとこの関係が続いてほしいと思う」と調印式の意味を説明した。

続けてキム・ジュンシク代表は「ACL1次戦を前にJリーグと親善試合をすることができるようになり、大いに役立つと考えている。サガン鳥栖は小規模都市なのに平均1万4000人の観客が訪れることを知っている。今後の交流を通じてサガン鳥栖の良い点をできるだけ学べるキッカケにしたい」と所感を明かした。



[インタビュー] イ・ボムヨンの日本1年、「失敗者で戻ったのではない」
フットボールリスト




※一部要約

2016シーズン、Kリーグを代表するGK3人(チョン・ソンリョン、キム・スンギュ、イ・ボムヨン)は並んで日本Jリーグの舞台に進出した。
すでにキム・ジンヒョンとク・ソンユンがそれぞれセレッソ大阪とコンサドーレ札幌でプレーしていた中、代表級GKがすべて日本に向かったのである。

彼らの中で2017シーズンに国内の舞台に戻った選手はイ・ボムヨンが唯一だ。
イ・ボムヨンがプレーしたアビスパ福岡は18チーム中最下位を記録して2部リーグに降格した。
江原FCに移籍して1年で日本の舞台を去ったイ・ボムヨンは、失敗者のように見えた。
5日、江陵のシーマークホテルで行われた江原FC始務式の現場で会ったイ・ボムヨンの表情は明るかった。

イ・ボムヨンは物足りなさで終わった1年の日本生活に意味がなくはなかったと言った。
なぜ帰ってくることになったのか、そしてどんなことを得てきたのか、スポットライトの中心にいる江原のナンバー1に選ばれたイ・ボムヨンの話を聞いてみよう。


─釜山とアビスパで連続して降格を経験した。降格したチームの共通点はあったのだろうか?

前半期までは雰囲気の戦いである程度は押されてなかった。一度崩れ始めると回復不可能なまで落ちた。釜山で2014年は降格の危機から一度生き残った。シーズンをしていると再起のチャンスが明らかに来る。その当時を考えると、崩れそうになった瞬間に底まで行ず生き返った。降格したシーズンは再起できるキッカケを掴めずに崩れた。アビスパは後半期の開始と同時に崩れた。古参選手と新人選手の雰囲気をどうやって作るのかが重要である。降格への不安、試合が上手くいかないときに雰囲気をちゃんと作ってこそ抜け出せる。再起する雰囲気が作られなかった。


─失点が最も多いチームだった。個人的な活躍はどうだったのか?

まず降格したチームのGKだったので。私にすごくボールが来る。他のどのチームよりも。Jリーグはシーズンが終わったら選手に関する統計が詳細に出て来る。私は昨シーズン、18チームのGKの中でファインプレー率が6位だった。まあ、失点率は17位。最下位から2番目。記録から見るとファインプレーもたくさんした。それだけボールが多く来たし、GKにとっては失点するしかない部分があった。ファインプレーをしたとき、FWが助けないと。


─アビスパは最小得点チームだった。34試合で26得点。

0-1でリードされているとき。あるいは1-1のとき。このときが重要だ。0-1の状況から0-2になると崩れる確率が高まる。このときFWが得点して追いつくか逆転するか。釜山でもそうだったが後ろでたくさん防いでも、攻撃がチャンスで得点できなければ再び相手の攻撃になる。防ぐには限界がある。60~70分まではよく持ち堪える。このとき1ゴール決めていればという物足りなさがあった。このときに得点していれば、雰囲気は我々のほうにやってくる。GKにとってはできるだけ失点せず、残りの部分はMFとFWの助けを受けなければならない。江原には素晴らしいFWが多い。私たちは十分高い目標を立てるだけのメンバーだ。



[人サイド] SBおしゃべり・・・"日本行き"ユン・ソギョンが"5年目"オ・ジェソクに尋ねる
フットボールリスト




※一部要約

左SBユン・ソギョンと右SBオ・ジェソクは"2012ロンドンオリンピック"のルームメイトだった。
青少年代表時代から左右のSBを担ってきた親友同士。
2013年1月、ユン・ソギョンは全南ドラゴンズを去ってイングランドQPRに移籍し、オ・ジェソクは江原FCを去って日本ガンバ大阪に入団した。

4年の歳月が流れ、ユン・ソギョンはデンマーククラブのブレンビーを去って新たな目的地に日本Jリーグを選んだ。
オ・ジェソクは変わらずガンバにいる。
いつの間にかJリーグ5年目。
柏レイソルのオファーを受けたとき、ユン・ソギョンはオ・ジェソクに一番最初に連絡した。
オフシーズンを迎えて韓国に入った二人はすぐに一緒になった。


オ・ジェソク(以下オ):(初めてJリーグに進出することになったとき)ホン・ミョンボ監督様に連絡を個別に差し上げました。"よくしてくれないのか?"というので何か知っているようだった。"よくしてくれる奴はよくしてくれるが、そうじゃない奴もいる"と言い、"そういう奴はかえって臆病だ。気にする必要はない。上手い選手は誰にでも同じように接する"と言いました。遠藤選手は本当によくしてくれました。チームで中途半端な選手がそうしてるようだった。監督様の話を聞いてたら大丈夫でした。監督様自身もベルマーレに初めて行ったとき、試合でプレーするとボールを10回持ったか?そう言ってたんです。

ユン・ソギョン(以下ユン):そう、ボールが来なかったと言ってた。

フットボールリスト(以下フット):デンマークではどうだったんですか?

ユン:デンマーク人は優しかったです(笑)。英国に3年半いてデンマークには半シーズンいたじゃないですか。デンマーク人ともっと親しくなりました。人々が優しくて。あそこは幸福指数1位じゃないですか。英国では親しい人もいて親しくない人もいたが、デンマーク人とはみんな親しかった。練習が終わったら一緒にプレイステーションをしに行こう、昼食に行こう、と先に話をして。

フット:リーグ戦は結局1試合もプレーできなかったが、何か問題があったんですか?

ユン:監督のスタイルでしょう。私が行ったとき、専門のSBの選手が(負傷で)いませんでした。右SBをしていた選手は母親が韓国人のハーフコリアンだったが、その人が左サイドを見ていて。正統の左サイドがいなくて私は来たのでしょう。ところがわかってみると私はクラブオーナーとエージェントの話し合いで来ることになったのでした。監督の考えは違ったようです。短期で来ていたし。仕方ありません。十分理解できます。行ってすぐプレーすると思ってました。デンマークは若い選手が多く、ここで上手くやってドイツや英国、オランダのようなリーグに出ていくための足場にする舞台。試合を見て十分プレーできると思ったが、機会が来ませんでした。



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