女子サッカーのイ・グンミン、マンシティ入団…チ・ソヨンとチョ・ソヒョンに続いて英舞台
韓国経済TV




※一部要約

女子サッカー代表のイ・グンミンがイングランドの舞台を踏む。

マンチェスター・シティは7日、クラブ公式HPでイ・グンミンと2年契約に合意したと公式発表した。

イ・グンミンはチ・ソヨン(28、チェルシー・レディース)とチョ・ソヒョン(30、ウェストハム)に続いてイングランド女子スーパーリーグ(WSL)に進出した3人目の韓国人選手となった。

イ・グンミンは2010年のFIFA女子U-17ワールドカップのときに韓国の優勝を導き、今年6月にはFIFA女子ワールドカップに韓国代表として参加し、主軸FWでプレーした。

2013年3月6日のキプロスカップの南アフリカ戦でAマッチにデビュー、通算54試合16ゴールを記録した。

国内の女子実業サッカーWKリーグでも代表的なFWとして活躍した。



"ルナールマルチゴール"韓国、女子WCでフランスに0-4の完敗
STNスポーツ




※一部要約

韓国が初戦で完敗した。

韓国女子代表は8日午前4時、フランス・パリにあるパルク・デ・プランスで行われたフランス女子代表との2019FIFA女子ワールドカップA組1次戦に0-4で敗北した。






"一言"によって火の粉…ソン・フンミンの最後のアジアカップは中国で [イ・サンチョルのオデッセイ]
MKスポーツ




※一部要約

わずか3ヶ月前まで大韓サッカー協会(KFA)の国際大会誘致計画に、2023女子ワールドカップはなかった。
2019女子ワールドカップの誘致の乗り出したが、フランスとの競争に押された。
"巡り合わせ"がなかった。
KFAは2023アジアカップ誘致に焦点を合わせた。

かなり前から準備した。
2016年1月、AFCに2023アジアカップ誘致の意志を伝えた。
1年後には公式に誘致の意向書を提出した。
タイやインドネシアの放棄により、競争率は韓国と中国の"2対1"だった。

準備を怠らなかった。
誘致希望都市を受け付けて水原、高陽、華城、天安、全州、光州、釜山、済州など8都市に決めた。

チョン・モンギュKFA会長は中国と競争について、自信をあらわしたりもした。
去年4月のインタビューで、国際情勢が変わったとして「1年前で50%だったとするなら、今は6・70%に可能性が上がった」と明かした。

AFCは2023アジアカップ開催国の決定を先延ばしにした。
当初は2017年11月だったが、延期を繰り返して来月4日に発表する。
AFCが予定通りに進めていれば、どのような結末になっていただろうか。



新世界、女子サッカーに100億ウォン支援…サッカー協会のメインパートナーに
韓国日報




※一部要約

新世界グループが女子サッカーでは初めて大韓サッカー協会とメインパートナー湿布契約を結んだ。
支援金額は100億ウォン規模に達する。
厳しい環境でも好成績を出している韓国女子サッカーの発展に青い火が灯った。

大韓サッカー協会は15日、新世界と公式パートナーを結び、2024年までの5年間で女子代表の競技力向上のために現金100億ウォンが支援されると明かした。
新世界は現金支援とともに、女子サッカーの底辺拡大のために代表練習プログラムなどを支援する予定である。

新世界は女子サッカーの成長の可能性を高く評価したことがわかった。
実際、女子サッカーは2010年にU-17女子ワールドカップ優勝とU-20女子ワールドカップ3位、2015年にカナダ女子ワールドカップ16強進出、2018年にジャカルタ-パレンバンアジア大会で銅メダルなど、厳しい環境の中でも着実に好成績を成し遂げてきた。

チョン・モンギュ大韓サッカー協会会長は報道資料で「新世界グループの後援は女子サッカー発展の大きな転換点になるだろう」と明かした。
ホ・ビョンフン新世界グループ副社長も「今回の後援協約が、女子サッカーの成長の小さな足場になれるよう努力する」として、「韓国女子サッカーが国内スポーツファンの期待に好かれる人気スポーツに発展することを期待する」と伝えた。



韓国女子サッカーで初めて日本プロチームの指導者になった彼女
ベストイレブン




※一部要約

海の向こうの日本の地で、韓国女子サッカーで初めて指導者資格証を取った人物がいる。
日本J3リーグの鹿児島ユナイテッドでコーチとして活動中のモク・ソンジョン氏である。
日本サッカー界に韓国人コーチが多くないなか、女性としてその道を切り拓きつつあるモク・ソンジョン氏のしっかりとした目標や夢は興味深い。

モク・ソンジョン氏が日本と縁を結んだのは2013年だった。
最初から日本の舞台で初の女性指導者というタイトルを意識したわけではなかった。
最初は日本に渡って選手生活を続けることに集中するのも忙しかった。

しかし当時モク・ソンジョン氏を指導していた監督が「日本で選手生活をするだけでなく、韓国でできない経験をするのはどうか」とアドバイスし、それをキッカケにU-6チームとU-12チームを指導することになった。
そのときも指導者の道に完全に入るつもりはなかった。
自分でも「当時は指導者が私の道になるとはまったく思わなかった」と告白したほどである。

だが一度することいなればきちんと井戸を掘るモク・ソンジョン氏の性格が発揮された。
はどうせすることになったついでに、少しでもより良く教えたいという考えで熱心に努力した。
自分の授業を聞く子供たちがもっとたくさん発展することを望んだし、勉強しなければ子供たちを教えることに限界があると考え、日本サッカー協会のD級キッズリーダーの資格証を取った。
続けて、どうすればもっと体系的に指導できるのかを悩み、C級まで取って指導者の道に入った。



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