セレッソ大阪U-12、2018MBC有望株サッカー大会優勝…スポルティングに6-0の大勝
スポーツソウル




※一部要約

日本Jリーグのセレッソ大阪U-12が2018MBC国際有望株サッカー大会(8人制)の頂点に上った。

セレッソU-12は28日、盈徳郡民運動場で行われた大会決勝戦のスポルティング(ポルトガル)との試合に6-0で大勝して優勝した。

鳥居塚伸人セレッソ大阪U-12監督は「スポルティングがかなり攻撃的に出てくると予想していた」として、「落ち着いて(守備に)重きを置き、私たちだけの色の通りに試合を解いていった」と語った。
それとともに「日本ではなく海外に出て世界の色んな文化を持つチームと試合をしたことは、選手にとって大きな経験になるだろう」と喜んだ。

3位決定戦ではセレッソ大阪エリートが東ティモールU-12選抜を1-0で下した。
今大会のMVPにはセレッソU-12の主将ワタナベ・サツキが選ばれた。

8人制サッカーは細かな技術や創造的プレーを学んで身につけるサッカーシステムとして、ヨーロッパや日本で定着した競技方式である。
国内で幼少年サッカーの8人制大会の底辺拡大に尽力するため、MBC有望株サッカー財団は2014年から心血を注ぎ、国内大会だけでなく国際大会まで開催している。



[インタビュー] 新鋭ユ・ジハ、バルサが欲しがった技量を浦項で花咲かせる
スポーツ朝鮮




※一部要約

「チームで自分の役割を果たさなければなりません」

まだ"プロ"というタイトルを付けるにはあどけなさが感じられる顔である。
だがその内部でうごめく勝負欲は隠せなかった。

今年浦項に入団したユ・ジハは、"鋼鉄守備"の系譜を次ぐ逸材として期待を集めている。
187の堂々たる体躯だけではない。
12歳だった2010年にFCバルセロナユースのテストオファーを受けるほど嘱望された人材だ。
父親の海外支社発令でスペインの代わりに日本へ渡ったユ・ジハは横浜Fマリノスユースに入団し、去年まで着実に成長した。
Jリーグ16歳以下選抜チームに外国人選手で唯一名前を上げて頭角を現したこともあった。
"未完の大器"を抱えた浦項の期待感は相当なものである。



[単独] "レアルユース"出身キム・ウホン、Kリーグデビュー秒読み
ベストイレブン




※一部要約

スペイン・ラ・リーガの名門クラブであるレアル・マドリードユース出身のキム・ウホンがKリーグデビューを目前に控えている。
キム・ウホンのプロキャリアの出発点になるクラブはKリーグクラシックの強豪FCソウルが有力である。

キム・ウホンは2008年にスペインへサッカー留学した1995年生まれの有望株だ。
2009年6月にレアル・マドリードユースに入団し、初シーズンにレアル・マドリードCで30試合中27試合に出場して主戦として活躍した。
当時、ジネディーヌ・ジダン監督の長男エンツォ・ジダンらと一緒にプレーした。

レアル・マドリードユース"ラ・ファブリカ"で3年過ごしたキム・ウホンは、ともに留学の道に進んだキム・ヨンギュと2011年にUDアルメリアユースへ入団した。
2012年にアルメリア2軍のBチームまで昇級して2014年まで活躍した。

2014年にはデポルティーボBチームと契約を結んだが、負傷のため1軍の舞台を踏めないままチームから放出され、スペインを去った。
韓国に戻ったキム・ウホンはその後もサッカーを続けるためJリーグ進出などを打診したが、負傷に苦しめられて短くない空白期を過ごさなければならなかった。

そんな中でソウルとの出会いがあった。
キム・ウホンは約1ヶ月前にソウルの練習キャンプに合流して体を作り始め、練習中に彼を注視していたファン・ソンホン監督が合格点を与えて契約を推進していることがわかった。

キム・ウホンは今年満22歳である。
もし国内の舞台でデビューして上手く適応すれば、韓国サッカーU-23代表にとっても良いオプションになり得る。



パク・チソン「韓国サッカーの状況、あまり良くなくて…」ユースの責任を引き受けた
NEWSIS




※一部要約

「韓国サッカーは厳しい状況で、別の見方をするなら私が最も関心のある分野についての要請だったので、本部長という職責をしているようだ」

パク・チソン大韓サッカー協会ユース戦略本部長兼財団法人JSファウンデーション理事長は、韓国サッカーの未来の責任を担うべきユース戦略本部長の職を受諾したことに関して、このように語った。

8日、水原ホテルキャッスルで行われた"2017JSファウンデーション才能学生後援支援金伝達式"を終えたパク本部長は、「継続的に協会側から仕事をしてほしいという意向を見せてきたが、当時の私はそのような状況ではなかった。引き伸ばしにしていたが、韓国サッカーの状況があまり良くなかった」として、「海外の経験をたくさんして、多くのことを見てきた選手として、そのまま良くない状況を見ているのは無責任だという感じがした」と説明した。

英国留学中のパク本部長は、先月のサッカー協会の要人・組織改編でユース戦略本部長の席に座った。
サプライズ人事だった。



[パク・サンギョンのJサッカー] 韓-日メッシはなぜ別の道を歩むことになったのか
スポーツ朝鮮




※一部要約

しばらく韓日サッカー界は自国の"メッシ"で浮き立っていた時期があった。
両選手ともFCバルセロナユース所属という共通分母があった。
イ・スンウのゴールのニュースが伝えられるたびに、韓国では"韓国のメッシ"を期待して笑いの花が咲いた。
日本も同じ。
わずか10歳の年齢でスペインに渡った"日本のメッシ"久保建英は日本サッカー界の未来そのものだった。
FIFAが"18歳以下選手の海外移籍規定違反"でバルセロナに鉄槌を下した2015年3月前までの風景である。

韓日2人のメッシの現在は正反対だ。
イタリア・セリエAのエラス・ヴェローナで主戦競争をしているイ・スンウとは違い、久保は22日の広島戦の後半にプロ申告式を行った。
プロデビューの年齢だけを問うなら、久保はイ・スンウより3年早かったが、出発点の重量感は雲泥の差である。

"運"が切り離した結果物である。
イ・スンウは"年齢"が得になった。
"開店休業"の期間が短かった。
満18歳になった2016年からバルセロナユースで活躍を再開した。
この時期にイ・スンウは青少年代表だけでなく非公式ユース大会、国内のプロ-大学チームの練習に参加して懸命に耐えた。
バルセロナもやはり個人トレーナーとコーチを派遣して助けるなど、積極的に動いた。
同年代の他の"バルサユース"だったチャン・ギョルヒも同じようなコースを踏んだ。



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